ある筈の無い未来



 「エルト、明日は早いのでしょう?そろそろ休みなさい」

 木製の扉が優しくノックされ、キィと音を立てて開く。
「母上……そうですね、残りは明日帰宅してからやることにます」
俺は手にしていた羽ペンを置き、頭の後ろで手を組んで伸びをした。
「とりあえず、仕上げた分を父上に報告しなければいけないな。フレイグ、本を運ぶのを手伝ってくれないか?」
「はい、かしこまりました」
母の後ろに控えていたうちの使用人、フレイグは、机の上の本を手早くまとめ始めた。

「どうですか?魔物の特性……分かりそうですか?」
「そうだな、現段階で群れの八割の目星はついている。リーダー格の魔物に行き着くのも、時間の問題だろう」
 俺は現在国からの依頼で、北の海岸線にて目撃されたという魔物についての調査をしていた。現段階ではまだ民に被害は出ていないようだが、出てからでは遅い。その前に手を打ち民を守ることも騎士の務めだ。
「数時間でそこまでだなんて……流石です、坊ちゃん!」
笑顔を向けて賞賛の言葉をくれたフレイグに、俺は苦笑いで答えた。

「フレイグ、いい加減に『坊ちゃん』はやめてくれないか?俺ももう十八なんだ」
「いいえ、ハルス様の後を継いで正式にシルフィード家の当主となられるまでは、『坊ちゃん』と呼ばせて頂きます」
「私にとって貴方がいつまでも子供であるように、フレイグにとっては貴方はいつまでも坊ちゃんなのよ」
入口に立っている母がそんな事を口にする。
「二人とも……あまり俺を子供扱いしないで下さい」
「そこらへんの大人よりもずっと立派ですよ、『エルト様』は」
フレイグは少しおどけた口調でそういうと、よっこらせと呟きながら本の山を抱え上げた。
「全部持たなくていい。半分は俺が持って行くよ」
そう声を掛ける俺にかまわず、フレイグはきびきびと扉の方に歩きだした。
「このくらい一人で持てます。坊ちゃんはそっちの書類を持ってきて下さい」
「……分かった、有難う」
 早朝から要人の警護や魔物の討伐等が続き、ろくに休めていなかった俺に気を使ってくれてのことなのだろう。俺はフレイグに感謝の言葉を述べ、十数枚程の紙を持って後を追った。
「母上、お休みなさい」
扉の傍に立っていた母にそう声を掛け、横を通り過ぎようとしたら、袖を掴まれ呼び止められた。

「……エルト」
「はい、何でしょうか」
「貴方が立派に育ってくれて、私は嬉しいわ。こうやって一緒に暮らせたら、どれだけ良かったことか……」
俺は母の言っている意味が分からず、首をかしげた。今こうして一緒に暮らしているのに、この言い方は可笑しい。
「……母上?何を言っているのですか?」
「ううん、なんでもないわ。おやすみ、エルト。元気でね」
母は俺の肩を掴み、背伸びをして頬にキスをした。
「……?はい、お休みなさい」
手を振る母に見送られつつ、俺はフレイグと共に父の書斎へと向かった。





「失礼します、父上」
書斎の扉をノックし、ドアのノブを掴む。
「エルトか。調査の方はどうだ」
 明日以降に行われる騎士の仕事に関する書類だろう。騎士団長である父は、手に持った紙束をめくりながらそう言った。
「もう一息というところです。今日調べた分につきましては、こちらにまとめてあります」
俺は持ってきた書類を父に渡した。
「ふむ……成る程な。これだけの情報があれば、騎士団もいくらかは動きが取れるだろう。土地に関する資料や、その他に生息が確認されている魔物の資料も持って来い」
「はい。フレイグ!」
俺の後ろに控えていたフレイグが、机の開いているスペースに本の山を置いた。
「付箋がしてあるところが該当のページです。ですよね、坊ちゃん?」
「はい。それでは父上、今日はそろそろ休ませて頂きます。お休みなさい」
「エルト」

 父に背を向け部屋を出ていこうとしたら、声をかけられた。
「はい、何でしょうか」
「……強くなったな。父として、お前の真なる心と、それに見合うだけのたくましさを誇りに思う」
父の唐突な言葉を意外に思いつつも、俺は頭を下げた。
「有難うございます」
「良いか。決して力の使い道を誤るな。それが力ある者の責任であり、義務でもある。その力は、大切な人々を幸せにする為の力だ」
「はい、心得ておきます」
「それと……あまり無茶はするな。これ以上周りに心配を掛けぬようにな」
「……そんなにも心配をおかけしていましたか?」
「まぁ、な」
普段あまり笑顔を見せない父が、ふっと笑った。
「お休み。良い夢を」
「はい、お休みなさい」
再び書類に目を落とした父を背に、俺は書斎を後にした。





「ああ、エルト坊ちゃん!良かった、間に合って」
「ハンナか。どうした?」
 フレイグと共に屋敷の廊下を歩いていると、うちのもう一人の使用人であり、俺の乳母であるハンナが、向かい側から息を切らせて走ってきた。
「いえね、どうしても坊ちゃんにお伝えしておきたいことがありまして」
仕事中はエプロンドレスを身につけているハンナだが、今、その恰幅の良い体に着けられているものは寝巻きだった。寝しなにわざわざ言いに来るということは、余程急な用なのだろう。

「ほんのひと時ではありましたが、立派に成長した坊ちゃんに会うことが出来て、私は嬉しゅうございました」
「……ハンナ、いったい何のことだ?俺が生まれてからずっと、ハンナはこの屋敷に居ただろう?」
ハンナは俺の言葉が聞こえなかったかのように、質問には答えずに話を続けた。
「ソイル坊ちゃんが私たちを忘れてしまっているのは、正直寂しいです。ですが、それがエルト坊ちゃんの選んだ道なのですから、文句は言いますまい。どうかこれからも、ソイル坊ちゃんと仲良くして下さいね。私はいつでも、坊ちゃんたちのことを想っています」
俺は眉間に皺を寄せ、首をかしげた。
「母上といいハンナといい、いったいどうしたんだ?まるで今まで離れ離れだったかのような言い方をする。それに、ソイルって誰だ?俺に兄弟はいないだろう?」

 そこまで口にして、何かが引っ掛かった。俺に兄弟はいないのか?本当に?
いや、俺は今日まで、父と母と、フレイグとハンナと、5人で暮らしてきた筈だ。なら、この違和感は何だ?
「坊ちゃん。これからまた、辛いことがあるかもしれません。ですが、絶対に負けないでください。坊ちゃんならば、きっとどんな困難だって乗り越えられます。あのハルス様のご子息なのですから」
「ハンナ……どういうことだ?」
「明日になれば分かります。お休みなさいませ、坊ちゃん」
「ああ…………お休み」
ハンナはルームシューズをパタパタ言わせながら、元来た道を戻って行った。

 引き止めて訪ねるべきだったのか?ソイルとは誰なのか、母やハンナは一体何を言っているのか。皆の言っていることは俺の記憶とは食い違っているし、どうしていきなりこんなことを言い出したのか。これではまるで、別れの言葉か何かだ。胸の内に、妙な不安が広がる。
「さて、坊ちゃん、そろそろお部屋に行きましょう」
「フレイグ、君はハンナの言っていたことを疑問に思わないのか?」
フレイグは、肩をすくめて笑った。
「そうですね、今の坊ちゃんには分からなくて当然だと思います。大丈夫、明日になれば全て分かりますよ」
「それが分かった時……俺の周りには誰も居ない、何て事はないよな?フレイグ、君は明日も、俺の傍にいるよな?」
「僕はいつでも、坊ちゃんのお傍にいます」
「信じていいんだな?」
「もう、疑り深いですよ!大丈夫です。さぁ、お休みください」
フレイグに促されるがまま、俺は服を着替えて寝台に横たわった。

「さて、もうすぐ眠気がやってくるでしょうから、僕からも言わせていただきます。僕は坊ちゃんに会えて本当に幸せでした。坊ちゃんのこと、これまでもこれからも、ずっとずっと大好きです!坊ちゃん、辛いことがあったら、ヴァーミリオンを頼ってくださいね。ソイル坊ちゃんや周りの人に話せないことでも、ヴァーミリオンになら、全部話しちゃって大丈夫なんですから。全部を一人で背負う必要はありません。僕も坊ちゃんとヴァーミリオンと一緒に、闘います。心はいつも、坊ちゃんの傍に」





 フレイグの言葉が終るか否かのタイミングで、俺の意識はどこかへと飛んだ。
 次に目を開けた時、屋敷ではないどこか別の場所にいた。見覚えがある。……というより、ここは……。
 耳元で、誰かがすすり泣いている音が聞こえる。ゆっくりと首を回すと、見慣れた紺色の髪があった。声を掛けようとしても、中々声が出ない。何度も口を開閉して、漸く、かすかに喉から言葉が出た。
「セル、ノ……」
紺色の髪がばっと動いた。
 俺の目に映るセルノの姿は、いつもとは少し違う。瞼は重く腫れ上がっているし、瞳は充血して真っ赤だ。元から白い肌もいつも以上に青白いし、少しやせて見える。もしかして、ずっとここで泣いていたのか?
「にい、さ…………っ!」
セルノの青い瞳から大粒の涙が溢れ出す。俺に何かを言おうとしているが、上手く言葉にならないのだろう。口をパクパクさせてから、ぎゅっと結んだ。
「アイナおばさん、呼んでくる!」
そう言うとセルノは、ドアにぶつからんばかりの勢いで廊下に飛び出した。

 少しして、弟と共にアイナさんが姿を現す。
「ノスト……!良かった……本当に、良かった……」
アイナさんの瞳からも、涙が溢れ出た。
俺の身に何かあったのか?体を起こそうと腕に力を入れると全身に激痛が走り、俺は思わず呻き声を上げた。
「まだ動いては駄目!」
アイナさんは急いで涙を拭い、俺の脈を取った。
「セルノ、皆にこのことを知らせて!」
セルノは頷くと、再び廊下に飛び出した。

「覚えてる?グレンダと一緒に遺跡に行ったこと」
「……ああ、そこで俺は怪我して……」
「怪我ってレベルじゃないわよ馬鹿!一週間も目を覚まさなくて、本当に……心配したんだから……」
再び、大粒の涙がアイナさんの頬を伝った。
「……グレンダは?」
「貴方ほど酷くはないわ。左頸骨完全骨折、肩甲骨、肋骨三本程にヒビ、あと脇腹に深い切創ね。貴方と違ってすぐに目を覚まして、今は杖ありでならそこそこ動けるわ」
「それは酷い。で、俺は?」
「右足の指骨二本、中足骨、右尺骨が完全に折れてるわ。あと頭蓋骨にヒビ、挫傷数か所、深めの切創三か所。死にかけた原因は頭部の割創よ。それがなくても後十分放置されてたら出血死してた可能性だってあるわ」
「……ご心配おかけして、すみませんでした」
アイナさんは溜め息をついた。
「その言葉、セルノに言ってあげて。あの子、貴方が眠っている間ずっと、ろくにご飯も食べないでここにへばりついていたのよ」
「そう……ですか。俺はセルノのことも忘れてしまっていたのに、セルノはずっと……」
「忘れていたって、どういうこと?」
アイナさんが不思議そうに首をかしげた。
「夢を……見たんです。父や母と一緒に、屋敷で平和に暮らしている夢を」




実際にノストがアルメリスで平和に暮らすことが出来たのなら、一人称は俺じゃなく私だろうなーと思いながら書きました。
たーーーーーーーーーっぷりの補足を書かねばサイトには上げられそうもない代物なので、さて、どうしたものか(苦笑
ここでもこの話が通じる人って2〜3人しか居なさそうですけど。

2011/8