Re Birth







その日、母が帰ってきていると、ハンナからそう聞いた。

母がギーヴル皇帝の元に行き、もう随分長い時間が経った。
僕は皇帝直属の近衛兵として城に出入りできるからいつでも会うことが出来るが、
弟ソイルは逆に自衛の為に屋敷から出ることが出来ないからもう長いこと母には会っていない。
騎士をやめて自警団を立ち上げた父も、今日は珍しく家にいるし、
使用人のハンナとヴァーミリオンもいる。
久々に家族皆で過ごせると、そう思った。



「ソイル、母上が帰ってきた!一緒に会いに行こう!」
自室で本を読んでいた弟に声をかけると、弟は黄金色の目を輝かせた。
「ほんと?いく!」
ソイルは心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべ、僕の手を握った。
弟の姿が外から見えぬように、窓際ギリギリを歩かせる。
小さなソイルはそれだけで簡単に隠す事が出来る。

過去に何度か暗殺されかけた事から、
世間的にはソイルはこの世に存在しないということになっている。
その為屋敷内を移動するときも、常に細心の注意を払っていた。

母は父の書斎にいると聞いていたので、僕達は書斎に向かった。
書斎の戸を開ければ父と母が笑顔で僕達を迎えてくれると、当たり前にそう思っていた。

「ははう……え……」


目の前の母は壁に飾ってあったレイピアを握っていた。
レイピアはどす黒い赤に染まり、その先端は父の背中から突き出ている。
何が起きているのかを理解する前に思考は停止した。

レイピアが抜かれると、父の体は地面に倒れた。
真っ赤な掌を差し出し、返り血のついた笑顔で手招きする。
返り血の下にうっすらと光る模様が見えた。ヴァーミリオンの顔にある印とよく似ている。

「ソイル、いらっしゃい」

そう言って、母が、一歩、また一歩と僕達に近づいてきた。
その時は逃げなければという思考すら無かった。
ただ何も考えることが出来ぬまま、その場に立ち尽くしていた。

「にげ……ろ……」

父のその言葉で我に返る。

ソイルの手首を掴んで後ろを振り返らずに走った。
だが仮にも騎士として修行を積んでいる人間の脚に、
ずっと家にいた、その上4歳の子供の脚が追いつくわけがない。
廊下の赤いカーペットの上にソイルが倒れた。
ソイルの二の腕を掴んで乱暴に立たせ、抱き抱えようとしたとき、正面に見慣れた男が立っていた。

「……どうした」

ヴァーミリオン――
かつてシルフィード家当主ハルスに仕えた使用人、フレイグの体に入れられた千年前の古代人。
彼は赤いポニーテールを揺らしながら屈み、青と緑の瞳で不思議そうに僕を見つめた。

彼に呆然としているソイルを押し付け、言う。
「ソイルを連れて逃げろ」

父の書斎から断末魔のようなけたたましい女の叫び声が上がり、爆発音が聞こえた。

只ならぬ事態であると察したヴァーミリオンは、ソイルを抱き上げながら言った。
「……お前はどうする」
「父上を助けに戻る」

地が揺れるほどの爆音と共に、書斎の扉が吹き飛んだ。中から火が吹き出し、熱気が辺りを包み込む。
これほどの魔術は父には使えない。きっと母の……母の姿をした何かの仕業だろう。

「……無駄だ」
ヴァーミリオンは短く言い、右腕でソイルを抱え、左腕で僕の手を引いて走った。
「離せ!」
「……無駄だと、理解しているだろう」
「それでも諦めることは出来ない!そのまま僕が時間を稼げば……」
「……無駄だ」
「ヴァーミリオン!」

ヴァーミリオンに手を捕まれたまま階段を駆け降りると、
一階の廊下でハンナがこちらに向かって駆けてきた。

僕が生まれる前からこの家に仕えている使用人で、僕にとっては第二の母とも言える人だ。
恰幅の良い体が、エプロンドレスをはためかせている。
「ヴァーミリオン、何があったのです?!旦那様と奥様は……」
「……話は後だ、逃げろ」
「けれど……!」
「……急げ」
言われるがまま、ハンナも共に駆け出した。
屋敷の外に出、城下町とは反対方向の森へと向かう。





高台まで進んだところで、ヴァーミリオンは速度を落とし僕に聞いた。
「……何があった」
「母上が父上を……刺して……」
急を要する事態、簡潔かつ明確に事態を伝えなければいけない。
頭では分かっていたが、先ほどの光景を思い出すと上手く言葉を紡げなかった。
「母上の顔に、君の顔の印に……よく似たものがあった」
「……まさか、マレフィカ様もフレイグと同じく……」

古代人の魂を入れられ消失した。

まだ魂が残っていたとしても、救う術は無い。
フレイグがヴァーミリオンに徐々に侵食されていた時に散々調べ、試したが、結局彼を救うことは出来なかった。

また一人、大切な人が消えてしまった。
父もその古代人から守ることが出来なかった。
騎士は皆を護る者。なのに自分は、誰一人として守れていない事が余りにも悔しかった。
そしてフレイグを、母をこんなにした皇帝ギーヴルに、心からの殺意を覚えた。

「……そんな!町が……っ!」
ハンナが見ている方向に目を向けると、一面が赤色に染まっていた。
城下町が燃えている――
屋敷で起こった爆発が町にも関与したんだろうか。
離れたこの場所では業火の中で逃げ惑う人影をただ眺めることしか出来ない。
また、沢山の人が死んでいく。己の力のなさが情けない。

「ソイル、ここから術で火を治めることは出来ない?」
ヴァーミリオンに抱かれたソイルを見たが、ソイルは不安げに表情を曇らせた
「やったこと、ない……」
皇帝と同等の魔力があるとはいっても、ソイルはまだ幼い。
難しい術を次々と習得して周囲を驚かせているが、制御は完璧ではないし、
体力的にも多用は出来ず、決して一人前の術士とは呼べない。
「大丈夫、ソイルなら出来るよ。さあ、意識を集中させて」
ソイルの不安を取り払えるよう、なるべく優しい口調でそう声を掛けた。
するとハンナが僕の肩を掴み、言った。

「坊ちゃん、ここは私めに……はぁ……お任せください」
長く走ったせいですっかり息を切らせているハンナが、そう言って両手を町の方にかざした。
ハンナは魔術を全く使うことが出来ないのにどうするつもりなのか。


雲が動く。
灰色の雲がじわじわと空を覆い、瞬く間に大雨が降り出した。

「ハンナ、これは……?」
ハンナが地面に膝を着く。肩で息をしながらも、僕の顔を見て笑顔で言った。

「天人(あまびと)の力ですよ……魔術は、使えませんが、私、天を操ることが、出来るのです……。
最近になって……ハルス様に言われて、気付いたんですけどね……はぁ……」
世界の七属性を操る七人(ななびと)。この世に7人しかいないとされる人間の一人がここにいる……。
「ソイルと、同じ……」
ソイルは風を操れる風人だ。
まさかハンナまで七人だとは。シルフィード家で何の力も持たないのは、自分だけだったという訳だ。
父は宝剣シルフィードに選ばれし者、母とソイルは優秀な闇の術士ノル、
ソイルは風人でもあり、ヴァーミリオンは古代の魔術、オメガを使える。
そしてハンナは天人。

それを言い訳にするつもりは無いが、皆のように力があれば、両親を守れたのだろうか。
何故僕は、こんなにも無力なのだろう。

「……これからどうする。何処に逃げるつもりだ」
「アズルに行こうと思う。奴の狙いはソイルだ。ソイルだけでも扉の向こう側に逃がせれば……」

かつて世には七つの世界があったという。
そのうちの一つ、アズルは今もこの世界と繋がりがあると、ヴァーミリオンが教えてくれた。
アズルに行く鍵となるのが風人。
その風人がアズルに行ってしまえば、こちらからはアズルに干渉する事は出来ない。

「……お前は?」
「皇帝を討つ。いや、今の僕にはそれだけの力はない。
だからソイルが成長するまで皇帝を止めておく。
ヴァーミリオンとハンナはソイルと共にアズルへ行ってくれ。
そしてソイルが成長したら、戻ってきて」

「……お前もアズルに行くべきだ。
恐らく、アズルに行くことが目的である皇帝は、ソイルを失えば動きが止まる。
暫くはアズルに行くための研究に没頭し、アルメリスも捨てるだろう。イントフォニアと同様にな」

一方的に戦を仕掛け、占領した同盟国イントフォニア。
占領後すぐに皇帝の興味はアズルへと移り、イントフォニアには現在何の干渉もしていない。

「何故そう言い切れる?」
「……囚われていた頃に耳にした情報から察するに、皇帝のアズルへの執着はかなりのものだ。
イントフォニアはおもちゃのようなものと思っていたようだが、アズルはいわば本命。
奴にとっては生きる目標そのものだ。
諦めることはしない。お前たち家族を執拗に狙うのと同じくな」

「そうだとしても、囮が必要無い訳じゃない。
アズル研究の傍ら、暇つぶしとして犠牲者が生まれる可能性もある」

ソイルを地面に下ろしながら、ヴァーミリオンが淡々と口にする。
「……可能性は低い。奴の興味の中心はお前だ。
寧ろお前が逃げ仰せればアズル以外の興味の対象は無くなる。アズルが囮として機能するだろう」
「イントフォニアのことはどう説明する?」
「……あの時奴はアズルの存在を知らなかった。
イントフォニア侵略の目的も、力の誇示と、お前の心を破壊するのを楽しむ事だった。
今や大陸全土の民が奴を恐れている。
力の誇示が果たされた以上、お前の存在が無ければこれ以上行動する必要も無い」
「信じていいのか?」
「……ああ」
「……分かった。皆でアズルに行こう」

アズルがどのような場所かは分からない。
魔物に溢れた地獄かもしれないし、皆で平和に暮らせる理想郷かもしれない。
人の存在しない死の世界かもしれないし、ここヴェルデと同じような住みやすい環境かもしれない。
どちらにしても、逃げる場所はそこしかない。
この世界では、どれだけ遠くに逃げてもいずれ奴に捕まるのだから。

「アズルの門は何処にある?」
「……ここから東……」
ヴァーミリオンが言葉を途切って剣を抜くと同時に、風を切る音がした。背後を振り向くと、巨大な風の刃が目前に迫っていた。
回避が間に合わない。だが横から突き飛ばされたお陰で、僕は助かることとなった。

「坊ちゃん!!」
そう叫びながら僕を突き飛ばしたのはハンナだった。僕の代わりに風の刃を受け、首が吹き飛ぶ。
切り口から血が吹き出す。その血を浴びて、僕の視界は赤く染まった。

「……………っ!」
断末魔の叫び声をあげることも出来ず、ハンナは絶命した。
苦悶の表情を浮かべた首が、木にぶつかり、浅い茂みに落ちる。
ハンナの首を凝視し固まっているソイルを急いで背に庇い、
ヴァーミリオンは風の刃が飛んできた方向に剣を向けた。


「素晴らしいですわ」

母の声が聞こえた。だがその喋りには母のような上品な優しさは無かった。
「流石ノル、簡単な魔術だというのにこんな威力を出せるだなんて」
「……クラーレット、貴様……自分が何をしているか分かっているのか」

クラーレット――
それが母の体を奪った魂の名か。
母を喰らい、父とハンナを殺した者の名前か。

「ヴァーミリオン?千年ぶりね。元気にしてた?」
「…………」
ヴァーミリオンは一瞬僕に目配せをした。
意図を察した僕は、立ち上がり、ゆっくりとヴァーミリオンに近づく。
「……五分だ」
ヴァーミリオンの囁きに頷き、僕はソイルの手を掴んで駆け出した。

「その子を渡しなさい」
クラーレットはそう言って魔術を放とうとしたが、
ヴァーミリオンの剣がクラーレットを払い、避けた拍子に詠唱が止まった。

「……私が相手だ」




ヴァーミリオンの剣とクラーレットの剣がぶつかる音を背に感じながら僕は走った。
途中で足をもつれさせたソイルを背負い、ひたすらに東に走った。
折れた木の枝で額が裂け、魔物に襲われ足を噛まれても剣を翻して尚走る。
ソイルだけは守り通す。
ただその想いだけを胸にただひたすらに走りつづけた。



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