・ネタばれ要注意
・本編開始より13年前の話






Smile Apple





「セルノ、そろそろ出かける時間だよ」
アイナさんの書斎で本を読んでいたセルノの背にそう声を掛けると、セルノはいたずらを見つかった子犬のように肩をびくっと震わせた。
「……いってきます」
小声でそう言うなり、椅子から飛び降りてそそくさと部屋を出ていく。俺と目を合わせようともしてくれないのが少し物悲しい。
「うん、行ってらっしゃい」
廊下をぱたぱたと走っていくセルノに、軽く手を振った。


この家に住まわせてもらうようになって、そろそろ半年が経つ。
遺跡で死にかけていた俺を拾って治療をしてくれた上に、居場所まで与えてくれたサージロード夫妻には、感謝をしてもしきれない。
一応傷は塞がったが、まだ些か体が不自由な俺は基本的に外出を許可されておらず、この家の中で生活をさせて貰っている。
今の時間、弟のセルノと夫妻の息子のグレンダは、バルクさんの古い知人のご老人の元に勉強などを教わりに行っている為、家を空けている。夫妻は家にいるが、仕事の準備や情報収集で忙しい。なので俺は、この時間はいつも一人で過ごしてた。

ふと、先ほどまでセルノが向かっていた机を見遣ると、開いたままの本が置きっぱなしにされていた。
帰ってきたら注意しなければと思いつつ、本を閉じようと手を伸ばす。
「……アップルパイ?」
開かれていたページには、狐色に焼けたアップルパイの写真が載っていた。
隣のページには材料や制作の手順が書かれている。どうやらこれはレシピ本のようだ。
……もしかして、セルノはこれが食べたいのかな?
作ってみようか。そんな考えが頭を過った。

アズルに来て、セルノは記憶の半分を、俺は心の半分を失った。
セルノが俺のことを覚えているのかどうかは定かではないが、こちらに来てからというもの、セルノは俺と目を合わせるたびに、その青い瞳に涙を浮かべるようになった。
アイナさんが聞き出したところによると、感情の大半を失って表情の変化が乏しい俺を、怖いと感じているようだ。
それも仕方のないことかもしれない。けれど俺は出来る限りセルノを喜ばせたいし、幸せにしてやりたい。今のままでは、俺がしていることはその反対だ。
それなら笑えばいい。グレンダにはそう言われたが、いくら笑おうと頑張ってみても、出来なかった。
昔の俺はいったいどのようにして笑っていたのか。当時は何も考えずに笑うことができたが、今ではその行為が不思議で仕方がない。


「あ、ノスト。ここにいたのね。何か面白い本はあった?」
開けっ放しの扉から、アイナさんが顔を出した。薬学に関する本を取りに来たのだろう。白衣のポケットから覗くメモ帳には、細く美しい字で薬の名前がずらりと書かれている。
「興味のある本を見つけました。アイナさん、キッチンをお借りてもいいですか?」
「え、ええ……まぁ、ノストなら大丈夫よね。……多分」
アイナさんは戸惑いつつそう答えた。
「何か作るの?」
「はい、アップルパイを」
俺はそう答えて、アイナさんに机の上の本を手渡した。
アイナさんはレシピの書かれているページをじっと見つめ、うーんと唸った。
「料理をしたことはあるの?」
「手伝いなら、多少は」
「オーブンの使い方は分かる?」
「説明書を読めば問題ありません」
「切ったリンゴは醤油に漬けるのよ」
「塩水です、アイナさん」
アイナさんは細い眉を寄せ、頬に手を当てて考えるポーズをとった。
「これがグレンダだったら絶対に駄目って言うけど、貴方だと迷うわ……」
「安全には十分に注意しますし、道具の扱いにも気をつけます」
俺がアイナさんを見上げていると、アイナさんは少し考えた後、強く頷いた。
「分かったわ。でも、絶対に危ないことはしちゃ駄目よ。何かあったら、すぐに私に知らせなさい」
「はい、分かりました」
俺は頷き、レシピ本を片手に、キッチンへと足を向けた。





「ただいまー!」
グレンダの威勢のいい声が聞こえ、玄関の方向に顔を向けた。
「おかえり」
「……?何かいい匂いすんな、何してんだ?」
鞄を背負ったままのグレンダがキッチンに顔を出す。
「先に手を洗ってきて。もうすぐ焼き上がる」
グレンダがくんくんと鼻を動かしながら、オーブンレンジに近づいた。
「匂いからしてリンゴだな?!浮地屋のホットアップルケーキか?!」
目を輝かせてそう言うグレンダ。首を横に振ると、彼は少し残念そうな顔をした。
「んー、じゃあオージーコーナーのアップルタルト?……あーでも、あれはあっためなくても食えるもんなぁ……」
グレンダがオーブンの前をうろつきながら、眉間に皺を寄せる。
その目が道具だらけの流し台に向いたとき、驚いた顔で俺の方を振り向いた。
「……お前が作ったのか?」
無言で頷くのとほぼ同時に、オーブンが焼き上がりを告げる音を鳴らした。
グレンダは慌てた様子で俺とオーブンを見比べ、
「手、洗ってくるから!お前先に食うなよ!」
と、言い残し、洗面所に走って行った。残されたセルノと一瞬目が合ったが、彼はすぐに顔を背け、怯えたようにグレンダの後を追った。


戻って来た彼らは、白い皿の上に乗ったアップルパイを見て目を丸くした。
「あっぷるぱい……!」
セルノがテーブルの端を掴んで背伸びをし、目を輝かせて大皿を見入る。
「すっげー!お前、料理もできるんだな!」
「一から一人でやったのは初めてだ。味の保証は出来ない」
包丁で切り分け、小皿に取り分けた。サクっと音を立てる生地は少し焦げ気味だが、中のリンゴは写真とほぼ同じで少し安心した。
「すっげー、うまそう!セルノ、お前ケーキとか好きだろ?良かったな」
グレンダの方を見、笑顔で頷くセルノ。ひとまず、当初の目的は達成出来たようだ。
グレンダがセルノを抱きかかえて、子供用の椅子に座らせた。自らもその隣の椅子に腰かけ、ケーキが取り分けられるのをフォークを握りながら待っている。
「もう一度言う。味の保証は出来ない」
そう言って皿を渡すと、グレンダはにっと笑った。
「大丈夫だろ、すげーいい匂いすんもん。いっただっきまーす!」

彼はパイにフォークを突き刺し、豪快に頬張った。
笑顔を保ち続けたまま飲み込んだということは、味に問題は無かったということか。
「うっ――まい!」
感嘆の言葉を口にし、グレンダはどんどんと食べ進める。
その姿に安堵し、俺はセルノの方を見た。
セルノはおずおずと、小さなフォークで一口大に切り、口に入れた。
「……美味しい?」
尋ねてみると、セルノは真っ直ぐに俺の顔を見た。
その顔はみるみるうちに綻んで行き、やがて幸せそうな笑顔を浮かべた。
「おいしい!!」
こちらの世界に来てから、セルノが俺を見て笑ってくれたのは、初めての事だった。
セルノを喜ばせることが出来て良かった。そう思いながら、俺はセルノを見つめ返した。
「……そうか」
唐突に、フォークが落ちる音がした。
音の根源はグレンダの方だった。目を向けると、彼は大層驚いた顔でこちらを見ていた。
「……どうかした?」
「お前、今……笑った?」
笑ったという自覚は無かった。首を傾げ、尋ね返す。
「笑う?俺が?」
グレンダは体を動かさぬまま、首だけを何度も、小さく縦に振った。
少しの間の後、彼は椅子から飛び降り、全速力で階段を下りて行った。
「かあちゃーん!ノストが……ノストが、笑った!!!」
階段下から、そんな声が聞こえた。
階段を見つめていたセルノが俺の方に振り向き、顔を見て瞬きをした後、もう一度笑って見せた。
多分この時も、俺は笑っていたのかもしれない。
僅かに肩を竦めて、セルノの紺色の髪を撫でた。


それから時々、書斎の机の上に料理の本が開かれたまま置かれるようになったのは、俺とセルノだけの秘密だ。









半年の非ブラコン生活は終わりを告げ、この日からまたセルノはブラコンに戻ります。
補足が無いと良く分からないと思うので、質問は随時受け付けます(苦笑
グレンダが「すげー」を連呼してるのは意図的です。9歳だもん、そのくらいボキャブラリー貧困な方がそれっぽいかなーと思い(笑
逆にノストは枯れ果ててるので、子供らしさが出ないように意識しました。
ちなみにアイナが手伝おうとしなかったのは、お前は料理するなっていうバルクの言いつけの影響(超料理音痴)





2012/1